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カール・フォン・リヒテンシュタイン (1878-1955) : ウィキペディア日本語版
カール・フォン・リヒテンシュタイン (1878-1955)

カール・アロイス・フォン・ウント・ツー・リヒテンシュタイン(Prinz Karl Aloys von und zu Liechtenstein1878年9月16日 - 1955年6月20日)は、オーストリア=ハンガリー(二重帝国)の貴族、軍人。ボヘミア系の大貴族リヒテンシュタイン家の侯子。
== 経歴 ==
リヒテンシュタイン家のアルフレート侯子と、その妻で同族の従妹にあたるヘンリエッテ侯女の間の第9子、六男として、ドイチュランツベルクので生まれた。二重帝国陸軍に所属し、第1次世界大戦直後に帝政が崩壊するまで騎兵大尉として勤務した〔Nicola Wurthmann: Elisabeth Fürstin von Urach Gräfin von Württemberg - Biographie und Bestand. 〕。1918年12月13日から1920年9月15日まで、リヒテンシュタイン侯国の臨時国務代行者(''provisorischer'' Landesverweser)として、母方の伯父にあたるヨハン2世侯の事実上の摂政を務めた〔Rupert Quaderer: ''Liechtenstein und die Bodenreform in der Tschechoslowakei nach dem Ersten Weltkrieg.'' In: Aleš Skřivan Sr. und Arnold Suppan: ''Prague Papers on the History of International Relations. '' Seite 281.〕〔Liste der Regierungsmitglieder des Fürstentums Liechtenstein 1862–2012 ''〕。
1921年3月31日にシュトゥットガルトにおいて、ウラッハ公ヴィルヘルム・カールの娘エリーザベトと民事婚を行った。2人の宗教婚は同年4月5日に〔で執り行われた。夫妻は間に2男2女をもうけた。
*(1922年 - 2006年) - 1950年、エンマ・フォン・グートマンスタール=ベンヴェヌーティと結婚
*マリア・ヨーゼファ・ヘンリエッテ・アメリー・フロレスティーネ・ツィタ・フランツィスカ・テレーゼ・カロラ・ヴァレリー・エリーザベト・ルドヴィカ(1923年 - 2005年)
*フランツィスカ・デ・パウラ・ヘンリエッテ・マリー・アメリー・メヒティルディス・ベネディクタ・ペトラ・デ・アルカンタラ(1930年 - 2006年) - 1965年、ローフス・フォン・シュペー伯爵と結婚
*ヴォルフガング・ヨハンネス・バプティスト・ヨハンネス・エヴァンゲリスト・イルデフォンス・フランツ・デ・パウラ・ヨーゼフ・マリア(1934年 - ) - 1970年、ガブリエーレ・バセレット・ド・ラ・ロゼー伯爵夫人と結婚

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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